numtet.io
2022-02-13

情報環境が死にゲーすぎる件

deadly information environment

新しい物事が次々に押し寄せてくる。ToDoリストはすぐに溢れ、現実の時間が圧迫される。 例えば、iPadの新型が発表されると一応スペックに目を通す。この時間は並んでいたToDoリストの消化をわずかに遠ざける。

もし情報収集を経て実際に購入したら、生活全体の効率化もあり得るだろう。ソフトウェア、例えばVimについて掘り返すのも近しい。プラグインを、tipsを知れば知るほど作業効率は改善され、ドンドン便利になる。

でもその間に「最新のデバイス情報をガン無視し、ほぼ壊れたようなワープロで評論を書き続けた人」を想像してみる。もしその成果が偉大だったら?(もちろんそんな単純な話ではないし、非テックな職人肌の逆転劇幻想が描きたいのでもないが)

言いたいのは、情報の加速環境に存在すること自体が極めてコストが高い、ということだ。居るだけで、大量の時間、集中力を持っていかれる。砂漠ステージ・極寒ステージで体力が減り続けるのと、全く等しい。ただ居るだけでも過酷な状態が、IT情報化のひとつの側面だ。

仮に評論家を志す青年であったら、この情報環境に帆を張り、推力を得て進まねばならない。それなのに、この環境は娯楽の充実に磨きが掛かっている。時間喰いなものに事欠かない。

青年は、多大なコストを払って時代にキャッチアップしなければならないのに、付随して迫り来る情報にも同時に打ち勝たねばならない。(「Netflixで話題の〜〜は時代精神を映している」と言われて観ずにいられない。すると隣に未来少年コナンを発見し、これも偉大なクラシックだし教養ではあるので、と見てしまう。こなすべきだったToDoリストが実行されるのは、その後になる)

意志力によってか、環境によってか、あるいは偶然か幸運かは何でも良い。だがともかくこの情報の渦を乗りこなした「場合にのみ」、行為の高みへと進める作りのようだ。

この構造的な把握が、極めて重要だと思いました。