コミュニケーションはものすごくlossyだ、という共通認識によって、もう少しマシな感じに至れないものでしょうか。
事前に伝えるとか、紙に書くとか、言った言わないとか以前に。
まず基本、失敗する。
だから当然再試行する、何回かやってもダメなのもよくある。「ビルドが通らない」に置き換えると、普通に何度も弾かれて何度もやるよね。
「無駄なやりとりは省く」という姿勢を取りがちだけど。伝えたい・聞きたいことに、人間の表現力・理解力は追いついていないですよね。打率3割の自覚に欠けるというか。7-8割の想定で運用されてませんか。
身の丈水準になるべく、伝えるときには諦念が、読むときには無力感が、本当はもっと要請されませんかね。
すると忙しくなって当然タスクも溢れるけど。そこで減らすべきは、試行回数じゃなくて、コミュニケーションを図る範囲なんじゃないかな。マスコミが社会的役割を他に譲っていく過程は、このことと呼応するんじゃないかな。
そうやって、lossyである自覚の中で、"伝わった回数"を数え上げる。
情報爆発してる世界で、これがとりわけ重要なKPIだと思っていますが、どうしたらいいですかね
(電脳でもない限り、定量化風のことは起こらないでしょうか)
人類は、例えばエネルギーの収率を、これでもかと追求してきた歴史があり。同様に、広範で持続的な取り組みを、コミュニケーション収率をKGIにしてやっていけるようになると、未来もあるんじゃないでしょうか。
と思いつつも、どうしたらいいでしょうか。